御土居

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主人の実家のある上賀茂に行くとき、堀川通を北上するのですが、賀茂川に出るちょっと

手前に、お土居の跡が残っています。

お土居は、豊臣秀吉が京都を守るために作った土塁です。

戦乱の世、京都は上京と下京に大きくふたつに分かれ、防壁に囲まれていたていたそう

です。

秀吉がその防壁を取り壊し、お土居を作りました。いわゆる都市計画ですね。

南北8,5km、東西3,5kmの縦長の形で、京都の街を囲んでいました。

このお土居は北東にあたります。

現在残っているお土居は、ここ紫竹上長目町の史跡を含んで、全部で九ヶ所。

北野天満宮にも残っているらしいです。

お土居の中は洛中、お土居の外は洛外とよばれました。

洛中洛外を結ぶ道が、お土居を横切る場所を「口」と呼び、今でも「鞍馬口」とか「丹波口」

など地名として残っていますね。

小学校の頃、主人は同級生らに、「おまえんちは洛外やから・・」と言われたそう。

失礼な奴らですよね。言いそうな同級生の顔が浮かんできます。

お土居の南端は東寺の南あたりまでなので、伏見はもちろんのこと洛外です。

ですので私の通っていた小学校ではそんな話題はのぼりませんし、実はお土居の存在さえ

知りませんでした。

今ごろになって、日本史を少しづつ勉強している気分です。
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Commented by happytable-eire at 2010-03-05 02:36
なつかしいお土居のお話ですね。
うちの近くの北野天満宮内にもありました。
もう少し北へ上がった当たりは、お土居跡の内と外で高低差もあり、
不思議なことになっています。
まさに洛中と洛外だったのでしょうね。
あまりに身近にあり過ぎても何も知らなかったので恥ずかしい限りです。
Commented by nagominohitotoki at 2010-03-06 16:34
お土居の近くに住んでらした方には、慣れ親しんだ風景なのですね。
何べん通ったかわからないのに、主人に「あれ、お土居やで。」と
言われて、「何なん、それ?」って感覚でした。
お土居の外は掘になっていたから、洛外のほうが地面が低い
のでしょうね。
by nagominohitotoki | 2010-03-04 12:19 | 暮らし | Comments(2)

古くなった生家を再生したい


by nagominohitotoki